大規模災害などを「材料」にした投資態度を、今後も世間は許せないだろう
世間が不幸な時ほど盛り上がる株式相場
大規模災害等の災厄があると、その現実世界のインパクトから株式市場などが大きく反応することがある。
自然災害、世界的疾病の流行、地政学的な緊張など。
相場が動くときというのは収益の機会でもあるので、不謹慎ながら不幸な出来事ほど相場参加者が嬉々としているように見えることもある。
人の不幸を喜ぶ態度に見え、祝い事や消費自体を自粛したりする世間のムードとは相容れない状況と思える。
相場を何のためにやるかというと、自分の資産(私腹)を増やすため。
この目的があるかぎり私利私欲に囚われた人物と捉えられてしまうだろう。
自分のために人の不幸を材料とする態度は、集団社会で生きる社会的な人間には快くは受け入れられなくて当然だろう。
「大規模災害と見られたがGDPに与える影響は0.01%に過ぎない」という客観的な情報もなんだか冷たいし、「〇〇地方の建設会社が復興需要で買い」という不幸を材料にした売買理由も人間味を欠いているように感じる。
とにかく「相場をやっている奴は不謹慎だ」という結論になってしまいそうだ。
悲劇が続くことを想定するポジションは、見方を変えれば事態の収束を望んでいないという態度でもある。
「投資なんてやっている奴は好きになれない」という意見を持つ人は、このようなタイミングで嫌悪感が際立つだろう。
しかし資本主義ある限り身も蓋もない、情報に対してドライな投資家態度は常に存在する
上記事実はある上で、それでも相場は動き止めることはできない。
参加者は日本人だけでないし、儲けようという人も、損したくないと売買が行われることになる。
ここまで「相場」と言っているのはほぼ「株式市場」を想定している。
株式市場を存在させているのは、雑に言うと「資本主義」ということになる。
資本主義がなぜあるかというと(その理由も幾らでもあるのだろうが)、資本の力を利用して人間が幸福になりたいという欲があることが大きいだろう。
世の中には驚くほどの受け入れがたい現象が、大なり小なりあると思う。
ある人にとってはそれが資本主義だしその手段としての株式市場、そしてそこに参加する投資家だろう。
受け入れがたい現象に多くの利害関係者がいる場合は、不謹慎に思える行為(相場に参加すること)を多くの人が嫌だと思っても個人の思うように変えることができない。
人の不幸を材料にすると見える相場はこれからも存在し続けて、そんな相場があることで別のところで誰か世の中を幸せにする企業が育まれていったりするのだろう。
相場環境へのコメント
米国相場
上記記事に5日の米国相場のコメント書いています(タイトルは全然関係ないですが)。
年末の5営業日と年始の2営業日に株価上昇するという「サンタクロースラリー」は失敗。
年始最初の5営業日の動向が年間の相場を占うというアノマリーも、4営業日の時点でマイナスで着地しそうな雰囲気。
年間の動きがこの数営業日の影響で決定することはもちろんないのだが、年末の上げ過ぎ相場の反転とはいえ雰囲気は悪いといえる。
雇用統計を通過し、今週はCPIで物価動向からのインフレ状況が見極められるだろう。
日本相場
本日は成人の日で休場。
明日からは多くの社会人が正月休みから復帰して、通常の生活が始まることになる。
その他
自民党派閥の政治資金問題で初の逮捕者。
国民の多くは年末にはこれぐらいあるかと思っていたが、実際はこんなものだろう。
国会が始まる前までに一定の成果を示せたとなるのではないだろう。
自民党の支持率がさらに下げるのかは不明だが、下げ要因であることは確か。